ねこまたぎ
「木葉日」の徒然
毎日毎日、壊滅的な被害を受けた被災地についての報道を見聞きしては途方に暮れる思いで泣いてしまう。
東北地方太平洋沖地震により被災された方々へ心よりのお見舞いと一日も早い復旧復興を、また亡くなられた大勢の方々の御冥福をお祈り申し上げます。
本当に本当に、毎日祈っています。
長い間放置していてすみません。
ずっと公私ともにおたく的な気持ちになれる状態ではありませんでした。
仕事も忙しかったし、自分も調子悪かったし、家族のことでいろいろあったし。
何よりもパソコンに長く向かっていることで悪化していく症状と、加齢による体力の低下、不調はどうしようもありませんでした。
どうにも改善しないので諸々治療と体力づくりに励んでおりました。
いまはだいぶ元気になってきたと思います。
原稿する気力も徐々に回復してきて春コミは参加の方向であったのですが、3月11日、あの地震が起きました。
余震は朝になるまで一時間置きくらいにきていて、実家とも娘たちとも連絡はとれないし、何かをするどころではありませんでした。
肉親の安否もしれないのに地震当日は終業まで職場にいなければならなくて翌日だって出勤しなければならなかった。気が狂いそうだった。
幸い帰宅すると自宅のライフラインは生きていましたのでテレビのニュースで災害の大きさを知ることができました。
(同市内のあちこちで停電やら断水が起きていた中、我が家の周辺はなぜかすべてが無事だった。二階でガラス戸棚のガラスが崩壊して部屋中に散乱してたけど。屋根は一部剥がれて落下したけど)
いま生きているからこうして書けますが、此処で死ぬかもしれないという覚悟をしてしまうような揺れでした。
震度6強というのは未経験でしたので。
市中の、瓦屋根の家屋では軒並み屋根が落ちました。
道々では石塀がドミノ倒しのように倒れました。
陥没した家屋、道路もありましたし、半月以上断水していた地区もありました。
それだけでいつも自然災害の少ない当県内にしては大変なことでした。
ですから東北地方の方々の恐怖感、喪失感、故郷が傷ついた哀しみは如何程かと思います。
二ヶ月近く経過した今も避難所で過ごされている方々、他県に身を寄せていらっしゃる方々、ライフラインの復旧していない自宅で過ごされている方々、御苦労が尽きないと思います。
勤務先の元職員のボランティア活動の関係で、当職場の近辺に避難してこられた患者様が幾人もおくすり手帳を持ってもいらっしゃいました。
今日飲む常備薬がないという切実さ。痛ましい。
宮城県石巻市においては、家人の仕事関係の工場の方が幾人も命を落とされました。
工場自体も被害に合い操業できないとのことで、会社ぐるみで敷地内の泥の掻き出し作業のボランティアに本日参加しています。まだ水道も復旧していない地域です。
新潟市、青森市、仙台市と転勤を続けてきた家人は特に東北圏には仕事上大変お世話になった人達が大勢いました。
地震直後、もちろん連絡がつく筈もなく安否の確認もできないままでした。
お一方ずつぽつりぽつりと連絡がつくようになり、訃報と喜びの知らせを交互に受ける頃、福島県の第一原発では次々と生じている問題が明らかになり甚大な被害の状況が報道されるようになりました。
とても怖かったのだけど、西とか外国へとか逃げようとは思いませんでした。
今私が住んでいるよりもっと北には実家があって母親がいるし親戚も多いし、大事な友人達もいる。
原発に更に更に近い方はもっと不安で恐ろしい筈だし。
それと、とどまって職場をまわしていくことが私のできる社会的責任を果たせる唯一のことだからかな。
避難区域に指定されている土地の方でも、一時は避難しても戻られた方もいると聞きます。
個人でも何某かやれることを選択した時、職場を放棄しないことは道の一つなのだろうと思います。
あとは決死の覚悟で対処している現場の方を信じたいらしいです。
とか、かっこよさげなことを考える反面、実はかんぺき絶望してました。
過去形ではなく、いまでもしてます。
水素爆発が起きて避難指示が出た当初、逃げたところでどうやって生活していくんだと思いましたもの。
生活できないなら生きていけないのと同義じゃないですか。
原発周辺の方も気丈でおられようとしても似たようなことは思っているんじゃないかな。
どうやって食っていけと。
計画停電の日は何枚も着こんで震えながら仕事をしましたが、東北の方を思えば、寒いことより悲しさやせつなさが身にしみました。
もっと北では寒さはこんなものではなく、こちらは停電や断水などあったとしても衣食住は足りている土地にいるわけですから。
飢えていないこと。凍えていないこと。自宅が住める状態であること。ありがたいことでした。
ガソリンや灯油が買えなくなった時期もあり、通勤に急遽自転車を購入して利用していましたが、それもほんの僅かな期間(二週間くらい?)でした。
でも諸々の買占めは起きてしまいましたね。
買い占めによる食料難民の次は、放射能による農作物の風評被害です。
福島は福島県産というだけで、隣接する関東圏は、近い、というだけの基準値を超えていなくても駄目という無差別現象。
友人宅の苺農家では、価格が当然下落しました。
私は友人宅から苺を買い続け毎日食べました。
そんなことくらいしか私にはできなかったのです。
3.11を思うにつけ、明日はどうなるかわからない、と考えながら生活しています。
ですから精一杯一日一日やっています。
放射能への不安はたぶん福島の第一原発が収束をみても、原発ありきの地震列島に生きて住んでいる限りは続くのでしょう。
自分は年寄りだからもういいと思えます。今までたいへんに心地良い快適な生活をさせていただきました。
これまでがあまりにも良い時代だったのです。
パソコンを長時間使い、夜更かしもして、電気をたっぷり使わせていただきました。
子供達や若い方達は今後、復興に向けて長い間に渡って沢山の困難が待ち受けていてさぞ大変だろうと思います。
頑張っている方々に、更にがんばってとはとても言えません。
今ある悪条件、境遇に、できることなら可能な限り負けないで生きて欲しいです。
@イベント参加について等
5月のSCCは参加の方向です。
当日の早朝、大きな地震がなく新幹線がちゃんと動けばビッグサイトに行きます。
新刊については予定表の通りですがあとで詳細直します。
正直、3月は中止という連絡がすぐに来なかったのが不思議でした。
楽しみにしていた方がいたら申し訳ないですが開催されればいいとは思わなかったし頭がおたく思考にどうしても向かなかった。自粛というより、もう自然に娯楽を楽しむことに拒絶反応を覚えました。
でも上にも書きましたが、本当に明日がわからない。
大地震はまたくるかもしれない。
原発もまた爆発しないと限らない。横ばいと発表されている放射能もそれは現時点でのこと。
明日の日本列島がどうなるかなんて誰も知らない。
なので遠くの友達に会える時は会っておきたいなと切実に思います。
会ったら泣いちゃうかもしれない。
震災後、心配してメールくれた友人達に感謝。
こまめにつぶやきや近況を交換してくれた友人達に感謝。力をもらいました。
自身が所属する団体、会より募られている義援金はその都度協力させていただきましたがきっとこれだけでは足りない。
生きていて余力のある人間が普通に生活しなければならない。
動いている交通機関を利用し開いている店舗を利用し、生産し、消費し、経済を回していかなければならない。
同人誌が被災地に必要とはまったくもって思えませんが私の日常の一部に入っているものだから元通りにやってみる。
印刷所も東北圏の会社にしようと思って記憶にある福島の会社を検索してみましたが、同人誌の印刷をやめていた。残念。
@通販
停止しているわけではないです。
止まっている間にもお問い合わせいただいた分は対処していました。
此処でいつものようにお知らせしなかったのは、メールのチェックを携帯でしていたからです。
本当にパソコンに向かうのがきつくて、プログも携帯から書けばよかったのですが、そこまでの気力がありませんでした。ごめんなさい。
…と、希少にもここを覗いてくださっていた方に御心配をおかけした御詫びと御礼を申し上げます。
@肉球
御返事遅くなりましたが畳んでありますので覚えのある方は続きをどうぞ。
コメント以外でも押してくださった方、ありがとうございました。
まだ来て下さる方がたとえ僅かでもいらっしゃることに心から感謝いたします。
東北地方太平洋沖地震により被災された方々へ心よりのお見舞いと一日も早い復旧復興を、また亡くなられた大勢の方々の御冥福をお祈り申し上げます。
本当に本当に、毎日祈っています。
長い間放置していてすみません。
ずっと公私ともにおたく的な気持ちになれる状態ではありませんでした。
仕事も忙しかったし、自分も調子悪かったし、家族のことでいろいろあったし。
何よりもパソコンに長く向かっていることで悪化していく症状と、加齢による体力の低下、不調はどうしようもありませんでした。
どうにも改善しないので諸々治療と体力づくりに励んでおりました。
いまはだいぶ元気になってきたと思います。
原稿する気力も徐々に回復してきて春コミは参加の方向であったのですが、3月11日、あの地震が起きました。
余震は朝になるまで一時間置きくらいにきていて、実家とも娘たちとも連絡はとれないし、何かをするどころではありませんでした。
肉親の安否もしれないのに地震当日は終業まで職場にいなければならなくて翌日だって出勤しなければならなかった。気が狂いそうだった。
幸い帰宅すると自宅のライフラインは生きていましたのでテレビのニュースで災害の大きさを知ることができました。
(同市内のあちこちで停電やら断水が起きていた中、我が家の周辺はなぜかすべてが無事だった。二階でガラス戸棚のガラスが崩壊して部屋中に散乱してたけど。屋根は一部剥がれて落下したけど)
いま生きているからこうして書けますが、此処で死ぬかもしれないという覚悟をしてしまうような揺れでした。
震度6強というのは未経験でしたので。
市中の、瓦屋根の家屋では軒並み屋根が落ちました。
道々では石塀がドミノ倒しのように倒れました。
陥没した家屋、道路もありましたし、半月以上断水していた地区もありました。
それだけでいつも自然災害の少ない当県内にしては大変なことでした。
ですから東北地方の方々の恐怖感、喪失感、故郷が傷ついた哀しみは如何程かと思います。
二ヶ月近く経過した今も避難所で過ごされている方々、他県に身を寄せていらっしゃる方々、ライフラインの復旧していない自宅で過ごされている方々、御苦労が尽きないと思います。
勤務先の元職員のボランティア活動の関係で、当職場の近辺に避難してこられた患者様が幾人もおくすり手帳を持ってもいらっしゃいました。
今日飲む常備薬がないという切実さ。痛ましい。
宮城県石巻市においては、家人の仕事関係の工場の方が幾人も命を落とされました。
工場自体も被害に合い操業できないとのことで、会社ぐるみで敷地内の泥の掻き出し作業のボランティアに本日参加しています。まだ水道も復旧していない地域です。
新潟市、青森市、仙台市と転勤を続けてきた家人は特に東北圏には仕事上大変お世話になった人達が大勢いました。
地震直後、もちろん連絡がつく筈もなく安否の確認もできないままでした。
お一方ずつぽつりぽつりと連絡がつくようになり、訃報と喜びの知らせを交互に受ける頃、福島県の第一原発では次々と生じている問題が明らかになり甚大な被害の状況が報道されるようになりました。
とても怖かったのだけど、西とか外国へとか逃げようとは思いませんでした。
今私が住んでいるよりもっと北には実家があって母親がいるし親戚も多いし、大事な友人達もいる。
原発に更に更に近い方はもっと不安で恐ろしい筈だし。
それと、とどまって職場をまわしていくことが私のできる社会的責任を果たせる唯一のことだからかな。
避難区域に指定されている土地の方でも、一時は避難しても戻られた方もいると聞きます。
個人でも何某かやれることを選択した時、職場を放棄しないことは道の一つなのだろうと思います。
あとは決死の覚悟で対処している現場の方を信じたいらしいです。
とか、かっこよさげなことを考える反面、実はかんぺき絶望してました。
過去形ではなく、いまでもしてます。
水素爆発が起きて避難指示が出た当初、逃げたところでどうやって生活していくんだと思いましたもの。
生活できないなら生きていけないのと同義じゃないですか。
原発周辺の方も気丈でおられようとしても似たようなことは思っているんじゃないかな。
どうやって食っていけと。
計画停電の日は何枚も着こんで震えながら仕事をしましたが、東北の方を思えば、寒いことより悲しさやせつなさが身にしみました。
もっと北では寒さはこんなものではなく、こちらは停電や断水などあったとしても衣食住は足りている土地にいるわけですから。
飢えていないこと。凍えていないこと。自宅が住める状態であること。ありがたいことでした。
ガソリンや灯油が買えなくなった時期もあり、通勤に急遽自転車を購入して利用していましたが、それもほんの僅かな期間(二週間くらい?)でした。
でも諸々の買占めは起きてしまいましたね。
買い占めによる食料難民の次は、放射能による農作物の風評被害です。
福島は福島県産というだけで、隣接する関東圏は、近い、というだけの基準値を超えていなくても駄目という無差別現象。
友人宅の苺農家では、価格が当然下落しました。
私は友人宅から苺を買い続け毎日食べました。
そんなことくらいしか私にはできなかったのです。
3.11を思うにつけ、明日はどうなるかわからない、と考えながら生活しています。
ですから精一杯一日一日やっています。
放射能への不安はたぶん福島の第一原発が収束をみても、原発ありきの地震列島に生きて住んでいる限りは続くのでしょう。
自分は年寄りだからもういいと思えます。今までたいへんに心地良い快適な生活をさせていただきました。
これまでがあまりにも良い時代だったのです。
パソコンを長時間使い、夜更かしもして、電気をたっぷり使わせていただきました。
子供達や若い方達は今後、復興に向けて長い間に渡って沢山の困難が待ち受けていてさぞ大変だろうと思います。
頑張っている方々に、更にがんばってとはとても言えません。
今ある悪条件、境遇に、できることなら可能な限り負けないで生きて欲しいです。
@イベント参加について等
5月のSCCは参加の方向です。
当日の早朝、大きな地震がなく新幹線がちゃんと動けばビッグサイトに行きます。
新刊については予定表の通りですがあとで詳細直します。
正直、3月は中止という連絡がすぐに来なかったのが不思議でした。
楽しみにしていた方がいたら申し訳ないですが開催されればいいとは思わなかったし頭がおたく思考にどうしても向かなかった。自粛というより、もう自然に娯楽を楽しむことに拒絶反応を覚えました。
でも上にも書きましたが、本当に明日がわからない。
大地震はまたくるかもしれない。
原発もまた爆発しないと限らない。横ばいと発表されている放射能もそれは現時点でのこと。
明日の日本列島がどうなるかなんて誰も知らない。
なので遠くの友達に会える時は会っておきたいなと切実に思います。
会ったら泣いちゃうかもしれない。
震災後、心配してメールくれた友人達に感謝。
こまめにつぶやきや近況を交換してくれた友人達に感謝。力をもらいました。
自身が所属する団体、会より募られている義援金はその都度協力させていただきましたがきっとこれだけでは足りない。
生きていて余力のある人間が普通に生活しなければならない。
動いている交通機関を利用し開いている店舗を利用し、生産し、消費し、経済を回していかなければならない。
同人誌が被災地に必要とはまったくもって思えませんが私の日常の一部に入っているものだから元通りにやってみる。
印刷所も東北圏の会社にしようと思って記憶にある福島の会社を検索してみましたが、同人誌の印刷をやめていた。残念。
@通販
停止しているわけではないです。
止まっている間にもお問い合わせいただいた分は対処していました。
此処でいつものようにお知らせしなかったのは、メールのチェックを携帯でしていたからです。
本当にパソコンに向かうのがきつくて、プログも携帯から書けばよかったのですが、そこまでの気力がありませんでした。ごめんなさい。
…と、希少にもここを覗いてくださっていた方に御心配をおかけした御詫びと御礼を申し上げます。
@肉球
御返事遅くなりましたが畳んでありますので覚えのある方は続きをどうぞ。
コメント以外でも押してくださった方、ありがとうございました。
まだ来て下さる方がたとえ僅かでもいらっしゃることに心から感謝いたします。
>03-15のぴくし様
震災後、間もなく書き込んで下さったのですね。
西日本の方でしょうか。
私は無事でした。元気です。御心配ありがとうございました。
>03-20のg様
はじめまして。このような過疎地に御訪問ありがとうございます。
小説、楽しんでいただけて大変に嬉しいです。
震災当日は地元でもかなり揺れましたが無事でした。
元気に働いております。ありがとうございました。
>04-09のフェルナンド様
茄子の花と今年も茄子の花、お読み下さったのですね。
面白かったと言っていただけで物凄く嬉しいです。
イルカ先生の蝙蝠戦闘シーン、臨場感を感じていただけたなんて書き手冥利に尽きます。
忍びを書いているわけですから、闘うシーンを書くときは自分でもいつも物凄く力が入ってしまうので、力み具合がくどさに替わったりしてるんじゃないかと削ることも多いんですが、どきどきしてくださったなら本望です。
イルカ先生の気持ちがリアルと感じていただけこと、普通に男くさいイルカ先生に萌えていただけたこと、感謝いたします。
あのーでも素晴らしいお話でもなんでもないです。ただ私自身が書いて楽しかっただけにすぎないものです。
それでもフェルナンド様が、幸せな時間を過ごしていただけたなら、これ以上のことはないと思います。
あたたかいお言葉の数々、ありがとうございました。
震災後、間もなく書き込んで下さったのですね。
西日本の方でしょうか。
私は無事でした。元気です。御心配ありがとうございました。
>03-20のg様
はじめまして。このような過疎地に御訪問ありがとうございます。
小説、楽しんでいただけて大変に嬉しいです。
震災当日は地元でもかなり揺れましたが無事でした。
元気に働いております。ありがとうございました。
>04-09のフェルナンド様
茄子の花と今年も茄子の花、お読み下さったのですね。
面白かったと言っていただけで物凄く嬉しいです。
イルカ先生の蝙蝠戦闘シーン、臨場感を感じていただけたなんて書き手冥利に尽きます。
忍びを書いているわけですから、闘うシーンを書くときは自分でもいつも物凄く力が入ってしまうので、力み具合がくどさに替わったりしてるんじゃないかと削ることも多いんですが、どきどきしてくださったなら本望です。
イルカ先生の気持ちがリアルと感じていただけこと、普通に男くさいイルカ先生に萌えていただけたこと、感謝いたします。
あのーでも素晴らしいお話でもなんでもないです。ただ私自身が書いて楽しかっただけにすぎないものです。
それでもフェルナンド様が、幸せな時間を過ごしていただけたなら、これ以上のことはないと思います。
あたたかいお言葉の数々、ありがとうございました。
PR
