ねこまたぎ
「木葉日」の徒然
※映画『TIME』ネタでカカイル。
密林の傾斜を駆けながらツーマンセルの友が言った。
ギリギリだ、と。
「本隊まであと五分。俺の持ち時間は六分と少し。おまえは? イルカ?」
自分の前腕をしきりに見やるミズキは、数歩の距離遅れて走るイルカに聞いてきた。
問われてイルカも確認する。左腕の袖をたくし上げると、前腕の内側、上皮を透かし己のチャクラで光る数字が明滅している。忍びとして生まれ故郷の隠れ里に登録したその瞬間から動き出した体内時計だ。留まることなく動く数値はチャクラの残量であり、生の残りでもあった。任務が終了すれば里に報酬として任務内容に見合った数値に引き上げてもらえる。里に帰還するまでもたなければ上官か仲間に分け与えてもらえる。
だから最低、ミズキとイルカは本隊の誰かと合流する必要があった。
任務に着く直前、上官から配分された猶予は二人ともに二十四時間きっかりだった。実はイルカの残量が三十分も残っているのは敵と遭遇した折に、ミズキの方が大技を使いチャクラの消費が大きかったせいだろう。立ち止まりミズキに誤差分を分けるより止まらず走る方がいい。追ってくる敵の忍び等から奪えぬこともないが、いま戦闘にまわせるチャクラが二人ともにない。敵に捕捉されるわけにはいかないのだ。
「俺も少ない。急ごう!」
背後で次々にあがりはじめた爆音で、自分たちが仕掛けたトラップの予定通りの発動は知れるのだが、どれだけの功を成したか、敵の死体を確認する余裕もなかった。タイムリミットを思えば振り向く間も惜しんで前へ跳ぶしかない。
木々を分け、枝を伝い、本隊が駐屯していた渓谷へと降り立つため、ほとんど同時に跳躍をした。崖の縁を蹴った瞬間に、二人これも同時、足元の渓流の光景がまる一日前と異なることに気付いて愕然とした。
生きた人の気配が消えていた。岸辺が火遁で焦げていた。土遁で地形が歪み、半分堰き止められた水の流れが、木の葉の額宛をつけた死体を洗っているではないか。
「ミズキ、使役は呼べるか? 全員が遺体で転がってるわけじゃない。闘いながら移動してると思う。方向を探らせよう」
茫然自失のミズキにイルカは訊ねてみる。イルカは使役を持っていない。
「犬が一匹。でも口寄せしたところで俺は終りだよ」
ミズキが左腕を突きつけてくる。チャクラの光る文字が一分をきっていた。イルカは向かい合わせで己が左手でミズキの左手を取った。
「イルカ?」
「俺の二十五分をやる。犬を呼んで本隊を探せる。おまえは里のために生き延びろ」
祈るように言ってミズキの腕にチャクラを注ぎ渡した。抗う他人のものを吸い取る時よりも、欲する者に流し与えるのは容易で速いのだ。イルカの数値がぐんぐん減り、三十秒をわったミズキの残り時間が逆行して一気に二十五分まで跳ね上がった。
「イルカ、おまえ……」
「行けよ。そんで里に帰ったら、いつか俺の分まで教職まっとうしてくれよ」
志を同じくして歩んできた友人の、戸惑い隠さぬ表情に笑ってみせる。ミズキの手を振り払い、イルカは残り二分きっかりの残量を確認して川べりに寝転がった。
怯えた様に頭を振りながらミズキが後ずさっていく。手はそれでも口寄せのための印を組んだのだろう。犬の吠え声がした。
ミズキと使役の走り去る足音が遠ざかるのを聞きながら、イルカは川原の石ころに寝転がったまま、左手を視野にかざしてみる。秒刻みに生が減っていく。与えてくれる者がいなければ増えようもない数字を見守っているのも馬鹿らしく、腕を投げ出した。そうすると視界が開け青い空が視えた。
左右の視角を囲うように、崖上には樹木が青々と茂っている。任務に明け暮れているうちに随分と暖かい季節になっていたらしい。生い茂る木の葉の青さが眼に沁みた。たった今まで駆け抜けていた山肌も新緑に満ちていた筈なのに、イルカの神経は体内時計の数字ばかりに多く気を取られ過ぎ、季節の移り変わりなど視野に入らなかったのだ。またそういう長閑な風景を楽しむ時と心の余裕もなかった。
あまり楽しい生ではなかった。
下忍時代をからがら生き延び、中忍に昇格しても死の手前を何度も味わってきたが、いよいよらしい。
イルカは眼を閉じた。両親のいる場所に行くだけだ。心残りはないように思えた。自分の夢はミズキが叶えてくれるだろう。友人等や、可愛がってくれた里長は、悲しんでくれるかもしれないが日々こうして命を落としていく忍はイルカだけではないのだ。
上忍か特別上忍にでもならない限り、長く生きることなどできはしない。それが忍という生業なのだ。
凡庸な者は低報酬の任務しかこなせず、また低報酬だからこそ着任期間内にかけられる時もチャクラも限られている。特別上忍以上への昇格には、いちかばちか遂行できるかどうか賭けまがいの高度な任務を成功させ、大量のチャクラを手に入れる必要があった。
大量のチャクラがあれば修行にも時を費やせる。大技も習得できるだろう。大技が習得できれば難易度の高い任務にもつけ、任務の達成率もあがり、報酬もまたあがるだろう。
下忍時代からチャクラと時に余裕のない日々を繰り返していたイルカは、戦忍向きではない自覚があった。だからこそ月給制の教職を目指していたわけだが、それも甘い考えであったらしい。戦いの場から退いて、自分は戦いの世界に進もうとする子供達をどう育てる心づもりであったのだろう。
忍びの里に生れ落ちたことそのものが間違っていたような気がする。なぜ忍びの両親のもとに生を受けたのか。
目まぐるしく思考するのは事切れるのを恐れてなのだろう。迷いも無く潔くミズキを行かせたくせに、寂しすぎる最後に独り傷ついている。長く生きないだろうと覚悟はしていたが、誰にも見守られずに死んでいくとまでは思わなかった。
人が荒らしたせいか鳥や獣の鳴き声さえせず、やっと流れている渓流の水音だけがイルカが聞く最後の現の現象のようだ。
が、ふと気付けば投げ出していた筈の左の手が宙に浮いていた。やけに白い腕がイルカの掌を取っていた。
──夢?
それとももうあの世に来てしまったのかもしれない。脆弱に転がるイルカを覗き込んでいる人は、イルカの記憶ではもうこの世にはいない過去の英雄であったのだ。
──白い牙?
イルカは肖像画と資料でしか知らない木の葉の里の戦忍を視ていた。憧憬で感涙し、畏怖に震え、取られている左手とは反対の利き手で熱くなった目頭を拭った。
「最初に会えるのがあなただなんて」
天に魂が昇れば一番先に父と母に会えると考えていたが、違った。
「俺を知ってるの?」
問われて頷くと、頭の後ろで川原の石がゴリリと頭皮を擦った。痛い。どうもおかしい。
「…っ、あっつっ!」
思わず喉から唸る。石ころの上に転げたままの背面もあちこち痛いといえば痛くて苦痛なのだが、それ以上に左腕が火を着けられたように熱くてかなわない。そして心臓が腕に移動してしまったようにドクドクと脈打っている。次いでイルカの視覚が、壊れた機械の目盛りのようにそら恐ろしい速度で増加し続ける数字を捉える。
眦がきれるほど両眼を見開いたイルカは、吃驚して飛び起きた。無論、生は繋がっていてイルカはミズキを見送った現のその場所にいたわけだが、目前でイルカの腕に命を流し続ける人は、やはりこの世の者とは思えなかった。透ける様な銀の髪が実に幻想的だ。整った鼻梁が芸術的だ。
「『白い牙』? なぜ自分を救うのです?」
問うと、俺は白い牙じゃないよ、と相手は言う。良く視れば装束が特殊部隊のものだった。面差しも冷静に確認すればイルカとそう変わらぬ若さで、つまりまだ少年だ。左眼に里の肖像画にはなかった見事な刀傷があり、そちらの眼は潰れているようだった。
彼の灰色の右の瞳に、軽く瞼がかぶった。薄い口唇から溜息が出た。
「ふつうはわざわざ中忍一人ずつ助けたりしないんだけど、戦況が悪化したからね。あんたチャクラ尽きただけで無傷でしょ。まだ立ってもらうよ。寝ぼけてないで起きな」
突き放すように言われて、イルカは夢から覚めた。ほどかれる前に自分から手を放した。急に暗部の少年の手が、無機物と化したように、体温を下げたのだ。言葉に比例した温度であった。
戦場で最前線で戦いながら、己のチャクラを弱者に惜しみなく分け与え、それでも功績を上げ続けた『白い牙』のような英雄が、そうそう存在するわけがなかった。
それでもイルカの住む木の葉の隠れ里は、里長をはじめ情は厚く絆は深いことで他里よりはましだ。むやみやたらにチャクラの奪い合いをするのが日常の里もある中で、木の葉は不当な搾取を禁じている。
銀髪のものの言い方はどうでも、命拾いをさせてもらったことには深く頭を下げた。生きながらえたなら、暗部の言うとおり、戦場では働くまでである。
立ち上がり、左の袖を整えようとして、最終的に明滅している数字にぎょっとなり、暗部をまじと視る。下六桁は残りの一時間未満と分、秒を示す。七桁目以上は命の日数だ。イルカの体内時計の残りの寿命は三桁になっていたのである。百日以上のチャクラを腕に抱えたことはない。初めてだ。一年の三分の一の量、一気に増えてしまった。
唖然としたまま動けずにいると、白い牙に似た暗部の背後に、気配もなくふいと黒い猫面をつけた同じく特殊部隊のこれまた体格で少年とわかる人物が現れた。
「せんぱーい。先輩のかぶりもの、ありましたよ」
猫面は狗の面を片手に下げプラプラ揺らしている。先輩というのは銀髪の少年のことで、狗の面の持ち主らしい。
「結い紐、付け替えときました。ついでに先輩の大事なお面ふっ飛ばした奴は始末しときましたから」
そう言ってから、猫面はイルカを覗き込んできた。
「……先輩、慌てるから顔みられちゃって」
ぷぷっと猫面が笑うと、先輩と呼ぱれた銀髪はあからさまに顔を歪めてみせた。
「いいよどうせ。今はチャクラ満タンでも、生きて還れるかなんてわからない」
九桁の数字を得ても足りなくなる任務を任されるらしい。イルカは覚悟して、自分の装備を確認しにかかる。腰のポーチの中に収まっている起爆札の数。ホルスターのクナイの刃先。ベストの内側にそれぞれ仕込んだ手裏剣と火薬の量も把握した。
そうしているうちに、狗は自分の面を元通りにつけていた。面をかぶったせいで少しこもった声が言う。
「あんたはまだ本隊と合流させないから。とりあえず俺たちと来て」
「見張ってないとあぶなくてかないませんからね」
狗の言葉を猫が補足するが、それは余計なことだったらしく、猫はポカリと狗に頭を殴られた。
「いたいなー。ほんとのことでしょう。放っとくとこの人、百日どころか百年分だってあっとういう間に他人にあげちゃいますよー。三代目がぼやいてたとーりですねー」
「これでもなんでか本人に悪気はないらしい」
「悪気はなくとも、先輩のお父上のように偉大な量のチャクラの蓄えがあるわけじゃないんですから──」
猫の言葉で、狗面が『白い牙』の実子と知った。イルカは尊敬する忍びの血縁者と遭遇したことにほんの少し心踊ったが、二人の会話は辛辣に進む。
「──こういう人が規律を乱すんですよね」
イルカは猫に指差されながら、気まずい雰囲気で暗部二人のあとを着いていく。暗部二人はイルカの性分に批判的だった。
責められるのはこれまでの行いから仕方ないとしても、暗部の走るペースには耐えられそうになかった。岩壁を駆け上がるまでは良かったが、木立の傾斜を走り出してからはとても着いてはいけなくなった。
「遅い──」
見失いかけた背がイルカの脇に並び、冷淡な謗りを投げつけられた瞬間に胴体が傾いた。もうイルカの鈍さには付き合っていられなくなったらしい。イルカは狗の肩に荷物のように引っ掛けられていた。
「じっとしてな」
狗に言われるまでもない。疾風より早く走られては動くどころか息つくのもおぼつかない。イルカは諦めて荷物でいた。文字通り暗部二人にとってはお荷物以外の何ものでもなかっただろう。
イルカは結局、その戦の間、狗と猫の荷物のままだった。
つまり本隊と最後まで合流させられることはなかったのだ。
ミズキと再会したのはその戦が終結し、里に戻ってからである。あれからミズキは本隊を無事に見つけ、闘うに充分なチャクラを与えられそれなりの功績を立てたらしい。イルカは負傷していたという設定で、真実は暗部二人の荷物になりながら彼らに見張られていた。むやみにチャクラの消耗者にチャクラを譲らぬよう監視されていたのだ。
ミズキには甘味処で勇ましい活躍の回想を長々と聞かされた。イルカは友人の話が尽きるまで付き合った。
用事があるから、と甘味処の前でミズキと別れた。
イルカはひとり路上を早足で歩きながら、こんな速度では敵を振り切ることはできない現実を苦く笑う。
背後に張り付いている狗と猫に文句を言うため、人気の無くなった町外れで立ち止まる。
「お二人ともいい加減にしてくださいよ。助けていただいたことは感謝していますからもういいでしょう。なんで俺がこんなに付きまとわれなきゃならないんですか」
「だめ。ぜんぜんだめ見境い無くて。チャクラと時の監視員としてはあんたは要注意人物の一人なんだから」
電柱の上から狗が言う。
「んー、あんな奴にみたらし団子を二皿、あんみつまでつけちゃうなんて人よしもいいとこですよね、せんぱい」
家屋の塀に同化していた猫も文句たらたらだ。
「そ。あいつあんたにもらった二十五分、返してないのに奢らせた」
忍びはチャクラの数字を通貨として使っている。団子二皿で十分、あんみつ一杯が十五分。奢った分だけイルカの命の量は減ったわけである。
「でも俺はまだあなたのおかげで九十日分はありますから。俺の方が余裕があるのに、ミズキに払えなんて言えますか?」
言えよ、と狗が不服まるだしで言う。
「暗部の方って、富裕層のくせに細かいんですね」
うんざり言って狗と猫を睨むと、おまえがおおざっぱ、と狗が吠えた。
「持ち分のチャクラを大事にしてきちんと管理できない奴は、監視どころか閉じ込めるぞ」
苛立った狗が路面に降りてきて地団駄を踏む。まぁまぁ先輩、と癇癪を起こしかける狗を宥めるのは猫の役目らしい。
「うみの中忍、これでも先輩は心配してるんですよ」
「それは、せっかく狗の先輩さんに頂いたチャクラですから──」
そこまで言いかけたイルカを制したのは、ちがーう!! という狗の怒号だ。
「あれはもともとあんたのチャクラであんたの時間なの。あんたは今まで戦場でそんだけ人にあげちゃってて、誰にも返してもらえてなかったの。わかってる?」
苛立つ狗と、すっかり厭きれた風の猫を見比べる。
「ああ、そういうことですか」
イルカは笑って、じゃあ俺の好きに使っていいじゃねーか、と言ってやった。
「馬鹿ですねー。損をしてばかり。じゃ、僕は次の任務に行きますから。ああ、忙しい」
猫は宣言してポンっと消えた。
狗は、と見ると、まだイルカの歩く後ろから着いてくる。監視員として黙っていられない、と。
「おまえは自分が風紀を乱しているとわかっているのか。ったく、不当なチャクラのやり取りがあっちでもこっちでも──」
文句を言う狗の銀髪がふわふわと風に煽られている。光り輝く毛髪の美しさは、エリートで富裕層の特殊部隊に相応しいのに、話し方や仕草は、イルカ達と大差ない十代のそれだ。
イルカは何だか可笑しくなって狗に手を差し出した。時を司る左手ではなく、右手をだ。
「団子屋行く?」
狗はきょとん立ち止まり、面のあちらからイルカの右手をちらと見たようだったがすぐに不平が出る。
「俺は甘いものなんか嫌いだよ」
「じゃ、ラーメンは? 美味しいラーメン屋さんがあるんだよね」
「……ラーメンは嫌いじゃない」
じゃあ行こう、と言うと、任務中、とそっぽを向く。
「俺が不当にチャクラを使わないか見張るんだろう」
言って強引に右手で右手を取ると、暗部の鉤爪がガチャガチャ鳴った。
あぶない、と呟いたのは狗だ。慌ててイルカの手を払い、どういう仕組みになっているのかシュルンと爪をしまい込む。
偉そうな言葉を並べても冷徹でもなんでもない。優しい少年だ。
イルカは再び狗の手を取った。
今日の彼の手はほど良い温度であった。
2012.03.18初出
2012.04.30修正
ギリギリだ、と。
「本隊まであと五分。俺の持ち時間は六分と少し。おまえは? イルカ?」
自分の前腕をしきりに見やるミズキは、数歩の距離遅れて走るイルカに聞いてきた。
問われてイルカも確認する。左腕の袖をたくし上げると、前腕の内側、上皮を透かし己のチャクラで光る数字が明滅している。忍びとして生まれ故郷の隠れ里に登録したその瞬間から動き出した体内時計だ。留まることなく動く数値はチャクラの残量であり、生の残りでもあった。任務が終了すれば里に報酬として任務内容に見合った数値に引き上げてもらえる。里に帰還するまでもたなければ上官か仲間に分け与えてもらえる。
だから最低、ミズキとイルカは本隊の誰かと合流する必要があった。
任務に着く直前、上官から配分された猶予は二人ともに二十四時間きっかりだった。実はイルカの残量が三十分も残っているのは敵と遭遇した折に、ミズキの方が大技を使いチャクラの消費が大きかったせいだろう。立ち止まりミズキに誤差分を分けるより止まらず走る方がいい。追ってくる敵の忍び等から奪えぬこともないが、いま戦闘にまわせるチャクラが二人ともにない。敵に捕捉されるわけにはいかないのだ。
「俺も少ない。急ごう!」
背後で次々にあがりはじめた爆音で、自分たちが仕掛けたトラップの予定通りの発動は知れるのだが、どれだけの功を成したか、敵の死体を確認する余裕もなかった。タイムリミットを思えば振り向く間も惜しんで前へ跳ぶしかない。
木々を分け、枝を伝い、本隊が駐屯していた渓谷へと降り立つため、ほとんど同時に跳躍をした。崖の縁を蹴った瞬間に、二人これも同時、足元の渓流の光景がまる一日前と異なることに気付いて愕然とした。
生きた人の気配が消えていた。岸辺が火遁で焦げていた。土遁で地形が歪み、半分堰き止められた水の流れが、木の葉の額宛をつけた死体を洗っているではないか。
「ミズキ、使役は呼べるか? 全員が遺体で転がってるわけじゃない。闘いながら移動してると思う。方向を探らせよう」
茫然自失のミズキにイルカは訊ねてみる。イルカは使役を持っていない。
「犬が一匹。でも口寄せしたところで俺は終りだよ」
ミズキが左腕を突きつけてくる。チャクラの光る文字が一分をきっていた。イルカは向かい合わせで己が左手でミズキの左手を取った。
「イルカ?」
「俺の二十五分をやる。犬を呼んで本隊を探せる。おまえは里のために生き延びろ」
祈るように言ってミズキの腕にチャクラを注ぎ渡した。抗う他人のものを吸い取る時よりも、欲する者に流し与えるのは容易で速いのだ。イルカの数値がぐんぐん減り、三十秒をわったミズキの残り時間が逆行して一気に二十五分まで跳ね上がった。
「イルカ、おまえ……」
「行けよ。そんで里に帰ったら、いつか俺の分まで教職まっとうしてくれよ」
志を同じくして歩んできた友人の、戸惑い隠さぬ表情に笑ってみせる。ミズキの手を振り払い、イルカは残り二分きっかりの残量を確認して川べりに寝転がった。
怯えた様に頭を振りながらミズキが後ずさっていく。手はそれでも口寄せのための印を組んだのだろう。犬の吠え声がした。
ミズキと使役の走り去る足音が遠ざかるのを聞きながら、イルカは川原の石ころに寝転がったまま、左手を視野にかざしてみる。秒刻みに生が減っていく。与えてくれる者がいなければ増えようもない数字を見守っているのも馬鹿らしく、腕を投げ出した。そうすると視界が開け青い空が視えた。
左右の視角を囲うように、崖上には樹木が青々と茂っている。任務に明け暮れているうちに随分と暖かい季節になっていたらしい。生い茂る木の葉の青さが眼に沁みた。たった今まで駆け抜けていた山肌も新緑に満ちていた筈なのに、イルカの神経は体内時計の数字ばかりに多く気を取られ過ぎ、季節の移り変わりなど視野に入らなかったのだ。またそういう長閑な風景を楽しむ時と心の余裕もなかった。
あまり楽しい生ではなかった。
下忍時代をからがら生き延び、中忍に昇格しても死の手前を何度も味わってきたが、いよいよらしい。
イルカは眼を閉じた。両親のいる場所に行くだけだ。心残りはないように思えた。自分の夢はミズキが叶えてくれるだろう。友人等や、可愛がってくれた里長は、悲しんでくれるかもしれないが日々こうして命を落としていく忍はイルカだけではないのだ。
上忍か特別上忍にでもならない限り、長く生きることなどできはしない。それが忍という生業なのだ。
凡庸な者は低報酬の任務しかこなせず、また低報酬だからこそ着任期間内にかけられる時もチャクラも限られている。特別上忍以上への昇格には、いちかばちか遂行できるかどうか賭けまがいの高度な任務を成功させ、大量のチャクラを手に入れる必要があった。
大量のチャクラがあれば修行にも時を費やせる。大技も習得できるだろう。大技が習得できれば難易度の高い任務にもつけ、任務の達成率もあがり、報酬もまたあがるだろう。
下忍時代からチャクラと時に余裕のない日々を繰り返していたイルカは、戦忍向きではない自覚があった。だからこそ月給制の教職を目指していたわけだが、それも甘い考えであったらしい。戦いの場から退いて、自分は戦いの世界に進もうとする子供達をどう育てる心づもりであったのだろう。
忍びの里に生れ落ちたことそのものが間違っていたような気がする。なぜ忍びの両親のもとに生を受けたのか。
目まぐるしく思考するのは事切れるのを恐れてなのだろう。迷いも無く潔くミズキを行かせたくせに、寂しすぎる最後に独り傷ついている。長く生きないだろうと覚悟はしていたが、誰にも見守られずに死んでいくとまでは思わなかった。
人が荒らしたせいか鳥や獣の鳴き声さえせず、やっと流れている渓流の水音だけがイルカが聞く最後の現の現象のようだ。
が、ふと気付けば投げ出していた筈の左の手が宙に浮いていた。やけに白い腕がイルカの掌を取っていた。
──夢?
それとももうあの世に来てしまったのかもしれない。脆弱に転がるイルカを覗き込んでいる人は、イルカの記憶ではもうこの世にはいない過去の英雄であったのだ。
──白い牙?
イルカは肖像画と資料でしか知らない木の葉の里の戦忍を視ていた。憧憬で感涙し、畏怖に震え、取られている左手とは反対の利き手で熱くなった目頭を拭った。
「最初に会えるのがあなただなんて」
天に魂が昇れば一番先に父と母に会えると考えていたが、違った。
「俺を知ってるの?」
問われて頷くと、頭の後ろで川原の石がゴリリと頭皮を擦った。痛い。どうもおかしい。
「…っ、あっつっ!」
思わず喉から唸る。石ころの上に転げたままの背面もあちこち痛いといえば痛くて苦痛なのだが、それ以上に左腕が火を着けられたように熱くてかなわない。そして心臓が腕に移動してしまったようにドクドクと脈打っている。次いでイルカの視覚が、壊れた機械の目盛りのようにそら恐ろしい速度で増加し続ける数字を捉える。
眦がきれるほど両眼を見開いたイルカは、吃驚して飛び起きた。無論、生は繋がっていてイルカはミズキを見送った現のその場所にいたわけだが、目前でイルカの腕に命を流し続ける人は、やはりこの世の者とは思えなかった。透ける様な銀の髪が実に幻想的だ。整った鼻梁が芸術的だ。
「『白い牙』? なぜ自分を救うのです?」
問うと、俺は白い牙じゃないよ、と相手は言う。良く視れば装束が特殊部隊のものだった。面差しも冷静に確認すればイルカとそう変わらぬ若さで、つまりまだ少年だ。左眼に里の肖像画にはなかった見事な刀傷があり、そちらの眼は潰れているようだった。
彼の灰色の右の瞳に、軽く瞼がかぶった。薄い口唇から溜息が出た。
「ふつうはわざわざ中忍一人ずつ助けたりしないんだけど、戦況が悪化したからね。あんたチャクラ尽きただけで無傷でしょ。まだ立ってもらうよ。寝ぼけてないで起きな」
突き放すように言われて、イルカは夢から覚めた。ほどかれる前に自分から手を放した。急に暗部の少年の手が、無機物と化したように、体温を下げたのだ。言葉に比例した温度であった。
戦場で最前線で戦いながら、己のチャクラを弱者に惜しみなく分け与え、それでも功績を上げ続けた『白い牙』のような英雄が、そうそう存在するわけがなかった。
それでもイルカの住む木の葉の隠れ里は、里長をはじめ情は厚く絆は深いことで他里よりはましだ。むやみやたらにチャクラの奪い合いをするのが日常の里もある中で、木の葉は不当な搾取を禁じている。
銀髪のものの言い方はどうでも、命拾いをさせてもらったことには深く頭を下げた。生きながらえたなら、暗部の言うとおり、戦場では働くまでである。
立ち上がり、左の袖を整えようとして、最終的に明滅している数字にぎょっとなり、暗部をまじと視る。下六桁は残りの一時間未満と分、秒を示す。七桁目以上は命の日数だ。イルカの体内時計の残りの寿命は三桁になっていたのである。百日以上のチャクラを腕に抱えたことはない。初めてだ。一年の三分の一の量、一気に増えてしまった。
唖然としたまま動けずにいると、白い牙に似た暗部の背後に、気配もなくふいと黒い猫面をつけた同じく特殊部隊のこれまた体格で少年とわかる人物が現れた。
「せんぱーい。先輩のかぶりもの、ありましたよ」
猫面は狗の面を片手に下げプラプラ揺らしている。先輩というのは銀髪の少年のことで、狗の面の持ち主らしい。
「結い紐、付け替えときました。ついでに先輩の大事なお面ふっ飛ばした奴は始末しときましたから」
そう言ってから、猫面はイルカを覗き込んできた。
「……先輩、慌てるから顔みられちゃって」
ぷぷっと猫面が笑うと、先輩と呼ぱれた銀髪はあからさまに顔を歪めてみせた。
「いいよどうせ。今はチャクラ満タンでも、生きて還れるかなんてわからない」
九桁の数字を得ても足りなくなる任務を任されるらしい。イルカは覚悟して、自分の装備を確認しにかかる。腰のポーチの中に収まっている起爆札の数。ホルスターのクナイの刃先。ベストの内側にそれぞれ仕込んだ手裏剣と火薬の量も把握した。
そうしているうちに、狗は自分の面を元通りにつけていた。面をかぶったせいで少しこもった声が言う。
「あんたはまだ本隊と合流させないから。とりあえず俺たちと来て」
「見張ってないとあぶなくてかないませんからね」
狗の言葉を猫が補足するが、それは余計なことだったらしく、猫はポカリと狗に頭を殴られた。
「いたいなー。ほんとのことでしょう。放っとくとこの人、百日どころか百年分だってあっとういう間に他人にあげちゃいますよー。三代目がぼやいてたとーりですねー」
「これでもなんでか本人に悪気はないらしい」
「悪気はなくとも、先輩のお父上のように偉大な量のチャクラの蓄えがあるわけじゃないんですから──」
猫の言葉で、狗面が『白い牙』の実子と知った。イルカは尊敬する忍びの血縁者と遭遇したことにほんの少し心踊ったが、二人の会話は辛辣に進む。
「──こういう人が規律を乱すんですよね」
イルカは猫に指差されながら、気まずい雰囲気で暗部二人のあとを着いていく。暗部二人はイルカの性分に批判的だった。
責められるのはこれまでの行いから仕方ないとしても、暗部の走るペースには耐えられそうになかった。岩壁を駆け上がるまでは良かったが、木立の傾斜を走り出してからはとても着いてはいけなくなった。
「遅い──」
見失いかけた背がイルカの脇に並び、冷淡な謗りを投げつけられた瞬間に胴体が傾いた。もうイルカの鈍さには付き合っていられなくなったらしい。イルカは狗の肩に荷物のように引っ掛けられていた。
「じっとしてな」
狗に言われるまでもない。疾風より早く走られては動くどころか息つくのもおぼつかない。イルカは諦めて荷物でいた。文字通り暗部二人にとってはお荷物以外の何ものでもなかっただろう。
イルカは結局、その戦の間、狗と猫の荷物のままだった。
つまり本隊と最後まで合流させられることはなかったのだ。
ミズキと再会したのはその戦が終結し、里に戻ってからである。あれからミズキは本隊を無事に見つけ、闘うに充分なチャクラを与えられそれなりの功績を立てたらしい。イルカは負傷していたという設定で、真実は暗部二人の荷物になりながら彼らに見張られていた。むやみにチャクラの消耗者にチャクラを譲らぬよう監視されていたのだ。
ミズキには甘味処で勇ましい活躍の回想を長々と聞かされた。イルカは友人の話が尽きるまで付き合った。
用事があるから、と甘味処の前でミズキと別れた。
イルカはひとり路上を早足で歩きながら、こんな速度では敵を振り切ることはできない現実を苦く笑う。
背後に張り付いている狗と猫に文句を言うため、人気の無くなった町外れで立ち止まる。
「お二人ともいい加減にしてくださいよ。助けていただいたことは感謝していますからもういいでしょう。なんで俺がこんなに付きまとわれなきゃならないんですか」
「だめ。ぜんぜんだめ見境い無くて。チャクラと時の監視員としてはあんたは要注意人物の一人なんだから」
電柱の上から狗が言う。
「んー、あんな奴にみたらし団子を二皿、あんみつまでつけちゃうなんて人よしもいいとこですよね、せんぱい」
家屋の塀に同化していた猫も文句たらたらだ。
「そ。あいつあんたにもらった二十五分、返してないのに奢らせた」
忍びはチャクラの数字を通貨として使っている。団子二皿で十分、あんみつ一杯が十五分。奢った分だけイルカの命の量は減ったわけである。
「でも俺はまだあなたのおかげで九十日分はありますから。俺の方が余裕があるのに、ミズキに払えなんて言えますか?」
言えよ、と狗が不服まるだしで言う。
「暗部の方って、富裕層のくせに細かいんですね」
うんざり言って狗と猫を睨むと、おまえがおおざっぱ、と狗が吠えた。
「持ち分のチャクラを大事にしてきちんと管理できない奴は、監視どころか閉じ込めるぞ」
苛立った狗が路面に降りてきて地団駄を踏む。まぁまぁ先輩、と癇癪を起こしかける狗を宥めるのは猫の役目らしい。
「うみの中忍、これでも先輩は心配してるんですよ」
「それは、せっかく狗の先輩さんに頂いたチャクラですから──」
そこまで言いかけたイルカを制したのは、ちがーう!! という狗の怒号だ。
「あれはもともとあんたのチャクラであんたの時間なの。あんたは今まで戦場でそんだけ人にあげちゃってて、誰にも返してもらえてなかったの。わかってる?」
苛立つ狗と、すっかり厭きれた風の猫を見比べる。
「ああ、そういうことですか」
イルカは笑って、じゃあ俺の好きに使っていいじゃねーか、と言ってやった。
「馬鹿ですねー。損をしてばかり。じゃ、僕は次の任務に行きますから。ああ、忙しい」
猫は宣言してポンっと消えた。
狗は、と見ると、まだイルカの歩く後ろから着いてくる。監視員として黙っていられない、と。
「おまえは自分が風紀を乱しているとわかっているのか。ったく、不当なチャクラのやり取りがあっちでもこっちでも──」
文句を言う狗の銀髪がふわふわと風に煽られている。光り輝く毛髪の美しさは、エリートで富裕層の特殊部隊に相応しいのに、話し方や仕草は、イルカ達と大差ない十代のそれだ。
イルカは何だか可笑しくなって狗に手を差し出した。時を司る左手ではなく、右手をだ。
「団子屋行く?」
狗はきょとん立ち止まり、面のあちらからイルカの右手をちらと見たようだったがすぐに不平が出る。
「俺は甘いものなんか嫌いだよ」
「じゃ、ラーメンは? 美味しいラーメン屋さんがあるんだよね」
「……ラーメンは嫌いじゃない」
じゃあ行こう、と言うと、任務中、とそっぽを向く。
「俺が不当にチャクラを使わないか見張るんだろう」
言って強引に右手で右手を取ると、暗部の鉤爪がガチャガチャ鳴った。
あぶない、と呟いたのは狗だ。慌ててイルカの手を払い、どういう仕組みになっているのかシュルンと爪をしまい込む。
偉そうな言葉を並べても冷徹でもなんでもない。優しい少年だ。
イルカは再び狗の手を取った。
今日の彼の手はほど良い温度であった。
2012.03.18初出
2012.04.30修正
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