ねこまたぎ
「木葉日」の徒然
※映画『TIME』ネタでカカイル。
前を行く暗部はぐるりと振り向いた。
「あんたさ、やっぱ早死にしたいの? 」
訊かれてイルカはすぐに応えられずにいた。特に死にたいとは思っていない。そして死への恐怖はちゃんとある。けれど咄嗟に否定の返事が出なかった。
「ずっとひっかかってた。善意でチャクラを譲ってるにしちゃおまえ、いいかげんばらまき過ぎなんだよ」
暗部の詰問は返事の出ないイルカを追い込むようだった。喉元を掴まれ引き寄せられる。面が間近になり、くりぬかれた右側の穴から薄灰色の瞳が見えた。瞳の中心に自分がいた。小さな像に気を取られいたら締め付けられた襟首辺りが少し苦しくなってきた。僅かに喘ぐ。
「生きたくないのか?」
また問われる。これにもイルカは返答に窮する。代わりに言った。
「それ以前に、俺、忍びに向いてない」
声にすると、絞られていた気道が少し楽になった。いや暗部は苛々と指を震わせ力を抜かないのだから、呼吸が特に解放されたわけではなかったのだろう。自分の中に燻る本音を素直に言葉にして憂さが晴れただけだろう。
「そんなはずはない」
向いてない筈はない、と言われ、イルカは慰めか同情だろうと思う。やっぱり優しい少年なのだなとも感じ入る。けれど暗部のエリートの目線では真実味が足りない。
「先輩さんみたいな方に言われても……」
「そんなはずないんだよっ」
口調きつく唸られてイルカはポカンとしてしまった。何を根拠に同年代でまだ中忍のイルカの適性を良と言うのかまったくもってわからない。またこんな話題でむきになられても、どう反応してよいやらだ。
進行方向で前を横切ろうとしていた母子連れと、後ろから来た物売りが、忍び同士の喧嘩が始まるとでも勘違いしたか、チラチラとこちらを窺い怯え顕わに早足で去っていく。すれ違った忍びの四人組は少年の暗部の装束を見てみぬふりで、道端へと避けてしまう。こちらはおおかた素行が悪く、暗部に懲らしめられる未熟な正規部隊員とでも思っただろう。想像された罪状は、自分より弱い下忍からチャクラを奪おうとしたとか、奪ったあと等だ。
だが身柄の拘束にしてはイルカの印を組む手は自由なままで、ポイと宙に放られた。気付けば身体は逆さになっている。
目の前には暗部の背中があった。手を伸ばせば白いベストの繊維は正規部隊のそれとは手触りが違う。さほど厚くないようだが、指先で縋ると見た目より硬い。気をつけないと背負っている忍刀に頬をぶつけそうなこの体勢は……。
(……なんでまた荷物かなぁ)
慰めるようなことを言って精神的なフォローをしてくれたようなのに、イルカの身体に対しては物扱いだ。けれどちぐはぐな言動にわいたのは嫌悪ではなく、更なる親近感だった。見た目の美醜を裏切る粗雑な言動がイルカの笑いを誘う。
(へんな暗部)
腹の奥がくすぐったいまましがみ付いていると、暗部が言った。
「予定変更だ。一緒に来い」
一緒に行くというより連行だろう。逆らえるとは夢にも思えないので、イルカは担がれた肩の上からただ、どこへ? と問う。
「生きてた方が得って思えること覚えれば考え変わる」
何やら一人納得したように頷いた暗部は一歩を踏み出している。二歩目の衝撃からはもう走るというより風になっている。
イルカの息は忽ち乱れた。呼吸が危ういのに口を不用意にあけられない。上下の歯をしっかり合わせていないと舌を噛む。横面を大気が殴る。尋常ではないスピードで市中の景色が後方に流れていく。
戦中のあの時よりも早くはないか。
「…まっ……いきが、くる……」
やっとの思いで声にしたら怒鳴られた。
「いつ死んでもいいくせに、呼吸が苦しいくらいで文句言うな!」
もっともな進言にイルカは不平を言うのをやめた。息がままならないことを除いたら、このスピードは爽快といえなくも無い。
景色が飛ぶ。飛ぶと同時にそのほとんどが、建物も人も滲んだ色彩だけになる。自分では絶対にここまで速く走れない。乱暴な担ぎ手の輿に乗っていると思えば良かった。
高速移動の合間に瞬身まで混ぜられたが、不思議と胃の中身はそのまま収まっていた。吐き気など感ずる間もなかったのだ。
移動がはたと止まったのは、門構えこそ個々の看板と装飾を競っているが、軒下には朱色に塗られた格子窓が一様の宿ばかり連なる界隈だった。暗部の少年は店舗の屋根の一つを選んで着地したらしい。
担がれたままでイルカは辺りを見渡した。日暮れもまだだし、往来には人もいない。それなのに屋内の生き物の気配は、地中にしこまれた不出来な仕込みよろしくそこかしこに散れている。
ここも里の一部だ。束の間の悦楽に酔う忍びらが、つい緊張を解いてしまうのは無理も無い。下忍になった時、春を買いたいときは此処で買えと担任教師に言われている。くの一等も同様だ。花宿には性別問わず欲の解放の手助けをする生業の一般人が勤めている。彼らは職業意識が高く、心は交わさず性技を売ることに徹底している。
「あのー、もしかして──」
逆さに吊られたままでイルカは訊いた。
「もしかもかかしもない」
暗部の足底が屋根の瓦を軽く蹴った。荷と化したイルカは次の瞬間に水平方向に滑った気がした。
イルカが咄嗟に受け身をとろうとついた左手は畳を叩いた感覚がした。右手が横滑りを防ごうと掴んだのは羽毛の手応えだった。日没前のぼんやりした夕日が暗部とイルカを照らしていた。日の光にはおそらく窓の格子のせいであろう影の模様も付いていた。
「……なにやってんだか」
「なにって……」
「これくらいの移動でだらしない」
適正云々で諭しておきながら、暗部は腕組みして睥睨するかのようにイルカを見下ろしていた。
イルカはといえば、左半身は微妙に斜めに傾いていて、右半身は赤を基調にした花柄の掛け布団で覆われた、畳敷きから一段高くなった寝台の上にのっている。傾いだ体勢から暗部を眺めると、いつの間に外したのか下足がない。素足の足先についた趾は爪までが細く白い作りであった。
「下足ぐらいさっさと脱げ。行儀悪いな」
「そんなこと言ったって──」
イルカは屋内にいることをたった今気が付いたばかりだ。
屈み込んできた暗部がイルカの脚絆を掴んでじれったそうに足から下足を引っこ抜いた。片方ずつ脱がされるそばからゴミ箱にでも捨てるように暗部の背後へと投げられてしまう。下足が描く放物線の先には、透かしの入った三枚折りの衝立があり、その向こうには引き戸が見えた。
イルカの所持品の二つ目の落下音がしたと同時、衝立を挟んで全容が見えない戸が開いた。途端流れ込んできたのは、粉の匂いであった。同時に忍びではない人間が無用心に洩らす、生の気配が押し寄せた。
異性というのはすぐにわかった。連れて来られた場所がどういう場所かも理解している。だがこの設定がわからない。
衝立の向こうから透けるほど薄い襦袢を着けただけの女が三人も現れたのだ。頭の中でつい引き算をしてしまうではないか。一人は自分、一人は暗部と当てても、もう一人は余分であった。
ごちゃごちゃ算数をしていると、三人ともイルカににっこり笑いかけてきた。三様の顔貌は、二重の大きな眼と小さな口唇が共通で、一人は幼さが残っていて、一人はおっとりと優しげで、一人は己の美貌に自信に満ちた勝気そうな印象だった。布を持ち上げている乳房は各々豊かで腰は細くくびれ、みな手足のバランスも良い。
良い女だろ、と言われた。それについては反論はなかったのでイルカは頷いた。
「この店で俺が気に入ってる女の上位三人だから」
暗部は偉そうに胸をはった。
イルカは、まぁとか、あらとか、女性たちが黄色い声ではしゃぐのを横目に疑問の解決にかかる。
「綺麗なお姉さんたちで光栄なんですが、三人って?」
「童貞のくせして三人じゃ足りないのか?」
厭きれた様に言われたが、厭きれたのはイルカも同様かそれ以上である。一度に三人の女性をあてがおうとする感覚についていけない。富裕層との物価感覚の違いが相当なのか、それともこの暗部には性処理におけるモラルがまったくないか、だ。
「急じゃなけりゃ五人くらい用意できたんだ」
傍らに胡坐をかいた暗部から、ぶっきらぼうに三人で我慢しとけと言われ、イルカは力が抜けた。問題点が百八十度違っている。
イルカが親近感を勝手に持ったところで、意思疎通が巧くいくとは限らない。がっかりしたら落ちかけていた寝台から更にずるんと畳敷きに傾いた。だらりと脱力した指先が畳の目を微かに撫でる。
その指先を暗部にゆらりと掬われた。先の戦場でイルカが投げ出した腕を、不意に取られた時のように前触れもなく。
「俺の驕りにしといてやる。この店は後払いなんだ。どれくらいいる?」
要るだけやる、好きなだけわけてやる、と付け足され、この花宿の滞在時間を問われているのだとわかった。
暗部の手甲を外した掌がイルカの掌に吸い付いている。冷たいと感じたのは半瞬だ。一呼吸もしないうち暗部の手は熱をあげる。制止する間もなくあの感触が腕を通して流れ込んできた。
2012.05.28 初出
「あんたさ、やっぱ早死にしたいの? 」
訊かれてイルカはすぐに応えられずにいた。特に死にたいとは思っていない。そして死への恐怖はちゃんとある。けれど咄嗟に否定の返事が出なかった。
「ずっとひっかかってた。善意でチャクラを譲ってるにしちゃおまえ、いいかげんばらまき過ぎなんだよ」
暗部の詰問は返事の出ないイルカを追い込むようだった。喉元を掴まれ引き寄せられる。面が間近になり、くりぬかれた右側の穴から薄灰色の瞳が見えた。瞳の中心に自分がいた。小さな像に気を取られいたら締め付けられた襟首辺りが少し苦しくなってきた。僅かに喘ぐ。
「生きたくないのか?」
また問われる。これにもイルカは返答に窮する。代わりに言った。
「それ以前に、俺、忍びに向いてない」
声にすると、絞られていた気道が少し楽になった。いや暗部は苛々と指を震わせ力を抜かないのだから、呼吸が特に解放されたわけではなかったのだろう。自分の中に燻る本音を素直に言葉にして憂さが晴れただけだろう。
「そんなはずはない」
向いてない筈はない、と言われ、イルカは慰めか同情だろうと思う。やっぱり優しい少年なのだなとも感じ入る。けれど暗部のエリートの目線では真実味が足りない。
「先輩さんみたいな方に言われても……」
「そんなはずないんだよっ」
口調きつく唸られてイルカはポカンとしてしまった。何を根拠に同年代でまだ中忍のイルカの適性を良と言うのかまったくもってわからない。またこんな話題でむきになられても、どう反応してよいやらだ。
進行方向で前を横切ろうとしていた母子連れと、後ろから来た物売りが、忍び同士の喧嘩が始まるとでも勘違いしたか、チラチラとこちらを窺い怯え顕わに早足で去っていく。すれ違った忍びの四人組は少年の暗部の装束を見てみぬふりで、道端へと避けてしまう。こちらはおおかた素行が悪く、暗部に懲らしめられる未熟な正規部隊員とでも思っただろう。想像された罪状は、自分より弱い下忍からチャクラを奪おうとしたとか、奪ったあと等だ。
だが身柄の拘束にしてはイルカの印を組む手は自由なままで、ポイと宙に放られた。気付けば身体は逆さになっている。
目の前には暗部の背中があった。手を伸ばせば白いベストの繊維は正規部隊のそれとは手触りが違う。さほど厚くないようだが、指先で縋ると見た目より硬い。気をつけないと背負っている忍刀に頬をぶつけそうなこの体勢は……。
(……なんでまた荷物かなぁ)
慰めるようなことを言って精神的なフォローをしてくれたようなのに、イルカの身体に対しては物扱いだ。けれどちぐはぐな言動にわいたのは嫌悪ではなく、更なる親近感だった。見た目の美醜を裏切る粗雑な言動がイルカの笑いを誘う。
(へんな暗部)
腹の奥がくすぐったいまましがみ付いていると、暗部が言った。
「予定変更だ。一緒に来い」
一緒に行くというより連行だろう。逆らえるとは夢にも思えないので、イルカは担がれた肩の上からただ、どこへ? と問う。
「生きてた方が得って思えること覚えれば考え変わる」
何やら一人納得したように頷いた暗部は一歩を踏み出している。二歩目の衝撃からはもう走るというより風になっている。
イルカの息は忽ち乱れた。呼吸が危ういのに口を不用意にあけられない。上下の歯をしっかり合わせていないと舌を噛む。横面を大気が殴る。尋常ではないスピードで市中の景色が後方に流れていく。
戦中のあの時よりも早くはないか。
「…まっ……いきが、くる……」
やっとの思いで声にしたら怒鳴られた。
「いつ死んでもいいくせに、呼吸が苦しいくらいで文句言うな!」
もっともな進言にイルカは不平を言うのをやめた。息がままならないことを除いたら、このスピードは爽快といえなくも無い。
景色が飛ぶ。飛ぶと同時にそのほとんどが、建物も人も滲んだ色彩だけになる。自分では絶対にここまで速く走れない。乱暴な担ぎ手の輿に乗っていると思えば良かった。
高速移動の合間に瞬身まで混ぜられたが、不思議と胃の中身はそのまま収まっていた。吐き気など感ずる間もなかったのだ。
移動がはたと止まったのは、門構えこそ個々の看板と装飾を競っているが、軒下には朱色に塗られた格子窓が一様の宿ばかり連なる界隈だった。暗部の少年は店舗の屋根の一つを選んで着地したらしい。
担がれたままでイルカは辺りを見渡した。日暮れもまだだし、往来には人もいない。それなのに屋内の生き物の気配は、地中にしこまれた不出来な仕込みよろしくそこかしこに散れている。
ここも里の一部だ。束の間の悦楽に酔う忍びらが、つい緊張を解いてしまうのは無理も無い。下忍になった時、春を買いたいときは此処で買えと担任教師に言われている。くの一等も同様だ。花宿には性別問わず欲の解放の手助けをする生業の一般人が勤めている。彼らは職業意識が高く、心は交わさず性技を売ることに徹底している。
「あのー、もしかして──」
逆さに吊られたままでイルカは訊いた。
「もしかもかかしもない」
暗部の足底が屋根の瓦を軽く蹴った。荷と化したイルカは次の瞬間に水平方向に滑った気がした。
イルカが咄嗟に受け身をとろうとついた左手は畳を叩いた感覚がした。右手が横滑りを防ごうと掴んだのは羽毛の手応えだった。日没前のぼんやりした夕日が暗部とイルカを照らしていた。日の光にはおそらく窓の格子のせいであろう影の模様も付いていた。
「……なにやってんだか」
「なにって……」
「これくらいの移動でだらしない」
適正云々で諭しておきながら、暗部は腕組みして睥睨するかのようにイルカを見下ろしていた。
イルカはといえば、左半身は微妙に斜めに傾いていて、右半身は赤を基調にした花柄の掛け布団で覆われた、畳敷きから一段高くなった寝台の上にのっている。傾いだ体勢から暗部を眺めると、いつの間に外したのか下足がない。素足の足先についた趾は爪までが細く白い作りであった。
「下足ぐらいさっさと脱げ。行儀悪いな」
「そんなこと言ったって──」
イルカは屋内にいることをたった今気が付いたばかりだ。
屈み込んできた暗部がイルカの脚絆を掴んでじれったそうに足から下足を引っこ抜いた。片方ずつ脱がされるそばからゴミ箱にでも捨てるように暗部の背後へと投げられてしまう。下足が描く放物線の先には、透かしの入った三枚折りの衝立があり、その向こうには引き戸が見えた。
イルカの所持品の二つ目の落下音がしたと同時、衝立を挟んで全容が見えない戸が開いた。途端流れ込んできたのは、粉の匂いであった。同時に忍びではない人間が無用心に洩らす、生の気配が押し寄せた。
異性というのはすぐにわかった。連れて来られた場所がどういう場所かも理解している。だがこの設定がわからない。
衝立の向こうから透けるほど薄い襦袢を着けただけの女が三人も現れたのだ。頭の中でつい引き算をしてしまうではないか。一人は自分、一人は暗部と当てても、もう一人は余分であった。
ごちゃごちゃ算数をしていると、三人ともイルカににっこり笑いかけてきた。三様の顔貌は、二重の大きな眼と小さな口唇が共通で、一人は幼さが残っていて、一人はおっとりと優しげで、一人は己の美貌に自信に満ちた勝気そうな印象だった。布を持ち上げている乳房は各々豊かで腰は細くくびれ、みな手足のバランスも良い。
良い女だろ、と言われた。それについては反論はなかったのでイルカは頷いた。
「この店で俺が気に入ってる女の上位三人だから」
暗部は偉そうに胸をはった。
イルカは、まぁとか、あらとか、女性たちが黄色い声ではしゃぐのを横目に疑問の解決にかかる。
「綺麗なお姉さんたちで光栄なんですが、三人って?」
「童貞のくせして三人じゃ足りないのか?」
厭きれた様に言われたが、厭きれたのはイルカも同様かそれ以上である。一度に三人の女性をあてがおうとする感覚についていけない。富裕層との物価感覚の違いが相当なのか、それともこの暗部には性処理におけるモラルがまったくないか、だ。
「急じゃなけりゃ五人くらい用意できたんだ」
傍らに胡坐をかいた暗部から、ぶっきらぼうに三人で我慢しとけと言われ、イルカは力が抜けた。問題点が百八十度違っている。
イルカが親近感を勝手に持ったところで、意思疎通が巧くいくとは限らない。がっかりしたら落ちかけていた寝台から更にずるんと畳敷きに傾いた。だらりと脱力した指先が畳の目を微かに撫でる。
その指先を暗部にゆらりと掬われた。先の戦場でイルカが投げ出した腕を、不意に取られた時のように前触れもなく。
「俺の驕りにしといてやる。この店は後払いなんだ。どれくらいいる?」
要るだけやる、好きなだけわけてやる、と付け足され、この花宿の滞在時間を問われているのだとわかった。
暗部の手甲を外した掌がイルカの掌に吸い付いている。冷たいと感じたのは半瞬だ。一呼吸もしないうち暗部の手は熱をあげる。制止する間もなくあの感触が腕を通して流れ込んできた。
2012.05.28 初出
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